「食」の仕事をしているから考えることではありますが、最近よく考えることがあるんです。
それは何かというと。 「シェフ・板前」「料理研究家・料理家」「料理ブロガー」の違いです。
いずれもお料理をつくるというお仕事に携わっているわけなのですが、それぞれイメージも違えば収入源も違います。

「シェフ・板前」はお見せを構えて来店客からお金をもらう本格的なBtoCビジネスを展開している人達。
コックさんなんかもそうかな。
つまり食べる人のことを考えている人。

それじゃ「料理家・料理研究家」って? それは作る人のことを考えている人。
そもそも料理研究家さんってどうやって生まれた?ということに興味があって。
ある筋によると戦後、奥様、お嬢様が近所の方々に手料理を振る舞ったところが起源だとか。
単純に黙々と料理の研究をする人というイメージではなく、綺麗なお皿や良い食材を皆様に振る舞ったところからなんですよ、と聞きました。
今のサロネーゼみたいなものでしょうか? まぁ起源なんてどこが本物か分かりませんが、黙々とひたすら実験室に籠もって料理の研究をするというものではないということは確かです。

それじゃ「料理ブロガー」は? イメージでは主婦の方が毎日の食事をブログにアップして発信。
レシピ考案、スタイリング、写真撮影、ブログでの拡散まで全部やります。
ブログなんで毎日毎日更新していく場合が多く、お料理の腕はもちろん、写真撮影のスキルもアップしていきます。
我流が多いですが、今はインターネットの時代。
たくさんのお手本や情報に触れられるので専門家に劣らない方も多数いらっしゃいます。
※この場合の専門家って?という議論は出てきそうですが・・ 音楽に例えると、料理家・料理研究家は歌謡曲歌手、料理ブロガーは全部こなす場合が多いのでシンガーソングライターみたいな感じでしょうか。
僕は音楽が好きなのですが、シンガーソングライターが最初に出てきたとき、どっかの雑誌で「あれは邪道」って書いてあったのを思い出しました。
「シンガーソングライターが邪道」の意味がわかんないな・・・ って思いましたが。 まぁそのライターさんのイチ意見なんでしょうけど。
新しいものが登場するとき、人はそれに警戒するし邪道っていうこともある。
出る杭は打たれるし、目立つ奴は睨まれることもある。
でも、新しいモノって結局組み合わせなので、実は「古き良き」をリスペクトした人のアレンジなんだと思います。 歌謡曲の大御所さんみたいになりたいなと思った新人歌手が自分なりにギター片手に歌っているんです。
小林さんや栗原さんみたいになりたいお料理が得意な方がブログでお料理を発信しているんだと思います。
※栗原さんが登場されたときも斬新さがあったと聞いています。

一方、大御所料理研究家さんも凄いなと思っています。
僕が一番衝撃を受けた言葉はこれ。 「お料理ってそもそもレシピなんてないのよ。家庭の味は母から娘へ。味見の文化。そもそもWEB上のレシピを見てそれだけで作れるなんて大間違い。」

主婦の方からすると当たり前なのかもしれないですが、男性の自分には考えもしなかった発想で。
僕はこのころから「レシピは基本だ」と考えるようになりました。
どういう意味かというと、料理は基本を理解していることが重要でその先はアレンジなのだと。
食材の旬や特性、調味料の基本の組み合わせを理解して、それを自分なりに家庭の味にアレンジする、そしてそれを伝授していく。
それこそが重要で。

きっと、レシピサイトの検索ボックスに単純に食材を入力して検索するもんじゃないのだろうと。
「これとこれを組み合わせてこの味ができるから、あの人に食べさせてあげよう。」 「この子達はこんな味付けをすれば、苦手な食材も食べてくれるだろう。」 なんて発想することが素敵なんでしょう。
その時から、Nadiaは「このお料理は誰のお料理?」というところにフォーカスすることにしたのです。

チキン南蛮が大事なのではなくて、誰のチキン南蛮かというのが重要だと思います。 それは「その人の家庭の味をしってもらいたいから。」なんです。
アレルギーの子どもを持つお母さんはアレルギーを気にかけたお料理をつくるし。
育ち盛りの子どもを持つお母さんは味付けが濃いめのがっつりお料理をつくるし。
人はそのバックグラウンドや経験以上のお料理はつくれません。
逆に言うと、そのお料理を食べればその人の生活や想いも少し理解できるはず。

料理研究家さん、料理ブロガーさん、表現方法は違えども彼女彼らがお贈りするお料理には必ずドラマがあるはずなのです。
そのドラマを感じるのが最近のお楽しみなのです。

株式会社OCEAN'S 葛城 嘉紀